くだらんコトを書き続けます。
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三浦雄一郎氏、エベレスト登山成功。
早速どうでもイイコトなんだが、「エベレスト」を「エレベスト」と、偉ぇ~チョッキ、的な意味合いになる言い間違えた経験がある貴兄は多いのではなかろうか?
ね?本当にどうでもイイコトだったでしょ?
話を三浦氏に戻します。
まぁこのニュースを見て、「いやぁ~、そりゃ非常に元気な後期高齢者ッスね!若人なオレも負けちゃいられないッス!!」(体育会系風で)と思うほど、私は登山体質なバディではないのです。
最近はじめたブレイクダンスの練習(週一)で、体は悲鳴を挙げているんですから。
ところで、こんな問答を聞いたことあるんじゃないだろうか。
「人はなぜ山に登るのか?」
「そこに山があるから」
この問答、問答になっておらん。
問答の関所があったなら、絶対通過できない。
「ちょっと待てぃ!!」と強面の役人侍に注意されるよ。
では、どんな問答なら、問答関所の役人侍は、通過許可証を発行するのか。
「人はなぜ山に登るのか?」
「いやぁ~、働かなくても、金がどんどん貯まるっつぅ通帳が山頂にペロッと落ちてるって、その筋の人から聞いてもんでね」
通過許可!!である。金のチカラは、登山の厳しさを打ち消すに充分!だから通過許可!!である。
では、これはどうだろうか。
「人はなぜ、山に登るのか?」
「実は…。三年前から片想いしてる女の子の自宅がありまして…。その子に鍋パーティを誘われたもんでして…。……山に登りたいの」
通過許可!!である。山頂に居を構える女に恋をした男の性が、登山の厳しさを消し去ったのだ。だから通過許可証発行!!!
この二例からもわかるのは、登山の厳しさの延長線上には、個々人しか理解できない楽しみ・幸せ・希望とゆうものがあるってこと。それらがなければ、厳しさは増すばかりで、消え去りはしない。
話を変えよう。次は、私の幼少期の辻本父子の話だ。
私は、小さい頃、父に連れられ、地元・大阪の二上山に毎年冬、登らされた。
虚弱な私は、父からの登山の誘いに、毎年億劫になっていた。断りたいのは、(登山だけに)山々なのだが、父は登山フル装備状態で私を誘うのだ。
「キイチ!今日は、二上山登りに行くか!?」(登山フル装備状態)
「キイチ!今日は、毎年恒例の辻本家二上山登りの日だ!!行くか!!??」(登山フル装備状態)
「キイチ!今日は、待ちに待ったお前も楽しみの二上山だ!!登るゾ!!!!」(登山フル装備状態)
年々、「息子・キイチも楽しみの皆様ご存知!辻本父子の二上山登山デー」色が強くなる父の誘い。断れるはずが無いじゃないか!!
私は、完全に顔面全体をこれでもかというほど引きつらせながら、「待ってました!二上山!!」とその誘いを受けるしかなかったのだ。
無理矢理な登山=BESTゲンナリ行為、である。
私は、登山中終始「あと何分で頂上に着くの?」を連呼しておった。
長体育会系の父は、「もう少しだ!!」を一合目から連呼しておった。
なんだよ!修造か、あんたは!?
二合目あたりから、完全にヘロヘロな私は、例の質問を父に問うた。
「なぜ人は山に登るの?」
父は答えた。
「山頂のカップヌードルが死ぬほど美味いからだ!!」
即答だった。間髪入れぬ回答。
問答関所の役人侍なら「死ぬほど美味なヌードルが山頂にあるのなら、登山の厳しさを忘れるのも当然じゃ!!通過許可じゃ!!!」と少し取り乱しながら言うだろうね。って感じのスパッとした潔い回答。
父は、その言葉通り、山頂でヌードルを死ぬほど美味そうにすすっていた、毎年。
その横で、オレもすすったよ、毎年。
でも、オレにはゆ~ほど美味ではなかった。まぁ確かにまずくはないが、死ぬほど美味でもないのだ、そのヌードルは。
しかし!!!である。死ぬほどに美味そうにすする(以後、死する)父の横顔を見ると、なんだか幸せになったのも、事実なんだな。
あぁ、たぶんこの人は、ひとりで死するより、息子のオレとふたりで死するほうが、死するレベルがより濃厚なんだろうなぁ~。
あぁ、だから、毎年オレを誘うのだろうなぁ~。
と、押さないながらに感じたものだ。
山頂でカップヌードルを死するコト。コレが父の好きなコト。
山頂でカップヌードルを息子と一緒に死するコト。コレは、父の大好きなコト。
好きなコトっつうのは、ひとりでもできるコトなんじゃなかろうか。
でも、大好きなコトっつうのは、仲間、たとえば息子・友達・同僚と共にやるコトなんじゃなかろうか。
仲間がいるからこそ、やめられない、とまらない。まるでカッパえびせん状態になるのでしょうよ。
息子のオレがいたからこそ、父は毎年冬山に登山し、カップヌードルを死するコトができたのでしょう。
要するに、今回言いたかったコトは、大好きなコトをずっとやり続けるっつぅのは、ひとりではできないでチュ!仲間がじぇったいに必要でチュ!!とゆうことなのですよ、皆様。
なんだか、「仲間」なんつう恥ずかし単語を連発してしまったので、赤ちゃん言葉でごまかしてみました。
いやぁ~、おそらく三浦雄一郎氏には、後期高齢者と呼ばれるお年になっても、仲間がおられるのでしょうな。あたくしも、そんな仲間を作らなければなりましぇん。
早速どうでもイイコトなんだが、「エベレスト」を「エレベスト」と、偉ぇ~チョッキ、的な意味合いになる言い間違えた経験がある貴兄は多いのではなかろうか?
ね?本当にどうでもイイコトだったでしょ?
話を三浦氏に戻します。
まぁこのニュースを見て、「いやぁ~、そりゃ非常に元気な後期高齢者ッスね!若人なオレも負けちゃいられないッス!!」(体育会系風で)と思うほど、私は登山体質なバディではないのです。
最近はじめたブレイクダンスの練習(週一)で、体は悲鳴を挙げているんですから。
ところで、こんな問答を聞いたことあるんじゃないだろうか。
「人はなぜ山に登るのか?」
「そこに山があるから」
この問答、問答になっておらん。
問答の関所があったなら、絶対通過できない。
「ちょっと待てぃ!!」と強面の役人侍に注意されるよ。
では、どんな問答なら、問答関所の役人侍は、通過許可証を発行するのか。
「人はなぜ山に登るのか?」
「いやぁ~、働かなくても、金がどんどん貯まるっつぅ通帳が山頂にペロッと落ちてるって、その筋の人から聞いてもんでね」
通過許可!!である。金のチカラは、登山の厳しさを打ち消すに充分!だから通過許可!!である。
では、これはどうだろうか。
「人はなぜ、山に登るのか?」
「実は…。三年前から片想いしてる女の子の自宅がありまして…。その子に鍋パーティを誘われたもんでして…。……山に登りたいの」
通過許可!!である。山頂に居を構える女に恋をした男の性が、登山の厳しさを消し去ったのだ。だから通過許可証発行!!!
この二例からもわかるのは、登山の厳しさの延長線上には、個々人しか理解できない楽しみ・幸せ・希望とゆうものがあるってこと。それらがなければ、厳しさは増すばかりで、消え去りはしない。
話を変えよう。次は、私の幼少期の辻本父子の話だ。
私は、小さい頃、父に連れられ、地元・大阪の二上山に毎年冬、登らされた。
虚弱な私は、父からの登山の誘いに、毎年億劫になっていた。断りたいのは、(登山だけに)山々なのだが、父は登山フル装備状態で私を誘うのだ。
「キイチ!今日は、二上山登りに行くか!?」(登山フル装備状態)
「キイチ!今日は、毎年恒例の辻本家二上山登りの日だ!!行くか!!??」(登山フル装備状態)
「キイチ!今日は、待ちに待ったお前も楽しみの二上山だ!!登るゾ!!!!」(登山フル装備状態)
年々、「息子・キイチも楽しみの皆様ご存知!辻本父子の二上山登山デー」色が強くなる父の誘い。断れるはずが無いじゃないか!!
私は、完全に顔面全体をこれでもかというほど引きつらせながら、「待ってました!二上山!!」とその誘いを受けるしかなかったのだ。
無理矢理な登山=BESTゲンナリ行為、である。
私は、登山中終始「あと何分で頂上に着くの?」を連呼しておった。
長体育会系の父は、「もう少しだ!!」を一合目から連呼しておった。
なんだよ!修造か、あんたは!?
二合目あたりから、完全にヘロヘロな私は、例の質問を父に問うた。
「なぜ人は山に登るの?」
父は答えた。
「山頂のカップヌードルが死ぬほど美味いからだ!!」
即答だった。間髪入れぬ回答。
問答関所の役人侍なら「死ぬほど美味なヌードルが山頂にあるのなら、登山の厳しさを忘れるのも当然じゃ!!通過許可じゃ!!!」と少し取り乱しながら言うだろうね。って感じのスパッとした潔い回答。
父は、その言葉通り、山頂でヌードルを死ぬほど美味そうにすすっていた、毎年。
その横で、オレもすすったよ、毎年。
でも、オレにはゆ~ほど美味ではなかった。まぁ確かにまずくはないが、死ぬほど美味でもないのだ、そのヌードルは。
しかし!!!である。死ぬほどに美味そうにすする(以後、死する)父の横顔を見ると、なんだか幸せになったのも、事実なんだな。
あぁ、たぶんこの人は、ひとりで死するより、息子のオレとふたりで死するほうが、死するレベルがより濃厚なんだろうなぁ~。
あぁ、だから、毎年オレを誘うのだろうなぁ~。
と、押さないながらに感じたものだ。
山頂でカップヌードルを死するコト。コレが父の好きなコト。
山頂でカップヌードルを息子と一緒に死するコト。コレは、父の大好きなコト。
好きなコトっつうのは、ひとりでもできるコトなんじゃなかろうか。
でも、大好きなコトっつうのは、仲間、たとえば息子・友達・同僚と共にやるコトなんじゃなかろうか。
仲間がいるからこそ、やめられない、とまらない。まるでカッパえびせん状態になるのでしょうよ。
息子のオレがいたからこそ、父は毎年冬山に登山し、カップヌードルを死するコトができたのでしょう。
要するに、今回言いたかったコトは、大好きなコトをずっとやり続けるっつぅのは、ひとりではできないでチュ!仲間がじぇったいに必要でチュ!!とゆうことなのですよ、皆様。
なんだか、「仲間」なんつう恥ずかし単語を連発してしまったので、赤ちゃん言葉でごまかしてみました。
いやぁ~、おそらく三浦雄一郎氏には、後期高齢者と呼ばれるお年になっても、仲間がおられるのでしょうな。あたくしも、そんな仲間を作らなければなりましぇん。
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