忍者ブログ
くだらんコトを書き続けます。
12≪ 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  ≫02
Admin | Write | Comment
カテゴリー
アーカイブ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 「なんで?」と様々なことに疑問を持つのは素晴らしいことらしいです。興味と好奇心の現れだからだそうですが、上方漫才特有の声を張り上げた「なんでやねん!」はボケ行為に対しての愛のムチ。漫才師でないボクも「なんでやねん!」と突っ込まずにはいられないボケ行為が街には散乱しています。ただし、この「なんでやねん!」には愛はございません。なぜなら、それらのボケ行為は、ホントウのボケ行為だからです。社会から以下のボケ行為を撲滅させましょう。

 ①満員電車にバックパック背負ったままで乗ること
 ②満員電車でヤングサンデーを読むこと
 ③満員電車に酒臭いまま乗ること

 ①はやめてください。②もやめてください。③は本日ボクがやってしまいました。すみません。誰かボクに「なんでやねん!」と突っ込んでください。
PR
 さながらダルマボディをさながら歌舞伎メイクでめかしこむ面々。夕陽の差し込む喫茶店でボクの近くでブレンドを流し込む貴婦人たち二組。

 一組は、大正琴のお稽古帰りだそうで。もう一組は、日本舞踊のお稽古帰りだそうで。めいめいが、琴の音色・舞い方・今日の着物の着こなし具合を誉めちぎっていなさる。

 彼女たちの「いやぁ、そんなコトござぁませんのよ」は、水溜りに小石を落としたときのように店内に広がってゆく。二組の「いや、そんなコトござぁませんのよ。オホホホホ…」が、ぶつかり合う。いや、ぶつかり合う、というより、ぶつけ合っている感じだ。「オホホ」のぶつかり稽古状態。

 「貴婦人でござぁ~しょNO.1グランプリ」。K-1ってやつだ。両チームのダルマは、確実に双方の「オホホ」の出方に注目している。

 大正琴チームに、先生らしき男性が加わる。「いやぁ~、今日のお稽古を見ていると、次の演奏会が楽しみになってきましたよ」大声である。詩吟レベルの大きさである。
 日舞チーム、劣勢。話題は、来月の日舞発表会に移った。場所は銀座のイベントホールらしい。日舞チームも大声。長唄レベルの大きさ。

 このゲームシーソーゲームの大接戦。ボクはいつの間にか、レフェリー気分。K-1GPの勝敗をジャッジする任務を仰せつかった。両チームの詩吟と長唄を聴きながら、冷静に判定を下そうとしたとき、大正琴チームが席を立った。ん!?試合放棄か!?いや、夕食を食べに有名料亭へ向かうそうだ。「そろそろ時間ですわ。夕食に行きましょうか?」叫び声レベル。

 大正琴チームがリングを跡にすると、日舞チームは突然静まった。店内は、水を打ったような静けさ。突然の試合終了に唖然とするレフェリーのボク。


 見栄。それは相手がいないと張れないモノ。
 見栄の張り合い。それは、見ているだけでもとかなり疲れるモノ。

 夕方の喫茶店でひとつ勉強させていただきました。

 昼間の銭湯には、なぜあんなにオヤジたち(大半が色白)が集まるのか。


おそらく、昼間の銭湯には、色白のオヤジたち(大半が色白)の大好物があるんだろ。


なんだろ、その大好物…。

週刊実話。袋とじ。豆大福。つかの間の休息。

各々が各々の大好物を求めて、銭湯に集まる。それが、色白オヤジの昼間の過ごし方なのか…。


そんなことは、ど~でもい~のだが、それにしても裸の色白オヤジは見分けがつかない。各々の特徴を見出せないではないか。誰が誰かわからない。

そうか、だからオヤジは服を着るのか。服を着ることにより、アイデンティティを出しているのか。そうか。わかった。

チョイ悪オヤジ、なんて、その代表例なんだな。




 
IMG_1168.JPG「クレクレタコラ」をみなさんご存知でしょうか?私は先ほどこの伝説のテレビ番組のビデオを入手してしまいました。これは昭和の名作でありますので、私も初めて拝見いたしました。

 ストーリーは、子供向けで、なんでも欲しがるタコのお話なのでありますが、なかなかディープなものであります。

 主人公のクレクレタコラは、ある日美味しい美味しい料理を欲しがるのです。その料理にありつくために、食材を用意し、調味料を調達し、やっとの思いで美味料理を口にしようとするのですが、結局その料理とは、なんとタコ焼きなのであります。共食いであります。

 なんという残酷なお話でありましょうか!?己が欲するモノは己であった、というかなりネガティブな自己完結の世界のお話。これはあくまでも子供向きの番組なのであります。

 己が欲するモノは己であった。これはどうゆうことなのか?私は、日々生きることは自分が欲するモノを獲得していくことだと思うのです。なりたい職業・食べたい料理・歌いたい曲・読みたい本、、、。それを見つけることが生きる、というか活きることだと思うのです。

 と、するならば、自身が欲するモノは、すでに自分の中に確実に存在しているってことではありませんか?いくら背伸びしたって、見栄を張ったって、自分のキャパシティを超えるものは受け入れられないのです。自分という分母が存在して、それより大きいものは受け入れられないのです。

 だからこそ、どんどん自分の分母を大きくしていかないと、つまらない日々になってしまうんでしょうね。自分の分母をビッグにする。これはかなり難しいことだと思います。でも、そうしないとキャパシティは広がらないでいるばかり…。それは楽しくも面白くもない日々ですよ。

 クレクレタコラは、「自分の分母を大きくしない!」と私たちに訴えているのかもしれません。もしそうであるならば、まずはその訴えを受け入れて、自分分母を拡張することから始めてみようと私は思いました。

 

 
私は小学生のころ、みんなが夢中になっていた「少年ジャンプ」とかのマンガや、「ファイナルファンタジー」とかのゲームから本当に縁遠い存在でありました。僕が夢中になっていたのは、おっさん俳優の面々。緒方拳・田村正和・橋爪功・小林稔侍…。小学二年生から彼らに虜になってしまいました。彼らが出演するドラマは欠かさず、VHS録画、そしてチェック、さらにすかさず真似。以上の流れ作業が放課後に続けられました。今考えると平衡感覚ゼロの趣味。偏りすぎの趣味です。

さらに一人っ子という中国政府公認のような家庭でしたし、共働きの両親は家におりません。いるのは、おじぃとおばぁだけでございました。そんな状況で私は、一連の流れ作業に飽きてしまい、「彼らがバラエティに出たらどうなるのか?」という、俳優の中尾彬化を想像することにいたしました。それが小学4年の秋。その頃は、空前の「マジカル頭脳パワー」ブームでした。私は、所さん・寛平師匠・千堂あきほに混じらせて、緒方拳ら俳優陣をゲスト解答者にすえる、という超豪華な「マジカル」を部屋でひとり実現させました。

私の前に集められる7つの電卓。その一つ一つが、豪華な解答者を表しているのです。1000点突破のマジカルミステリーツアーを目指し、ひとり「マジカル」が始まります。マジカルバナナ・マジカルチェンジを一人で7人分演じる私。寛平師匠はすぐ失敗し、正和は喋らず失格。意外と強い功。しかし、やっぱり勝つのは所さん。マジカルシャウトやマジカルサーモグラフィなどを経て、エンディング。優勝はやっぱり所さん。悔しがる稔侍。寡黙な拳。正和と触れ合う功(彼らは「カミさんの悪口」で共演)。寛平師匠はマイナス50点。「みなさんまた来週お会いしましょ~」

なんと、楽しい放課後だったのか。近いうちにまたひとりクイズ番組やります。今度はひとり「IQサプリ」です。





<< BACK  | HOME |
Copyright ©  -- 辻本キイチの寝起きなのにリーゼント --  All Rights Reserved
Designed by CriCri
忍者ブログ  /  [PR]